最高裁判所第一小法廷 昭和33年(オ)483号 判決 1960年12月15日
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人西村真人の上告理由第一について。
所論の点に関する原審の事実認定は挙示の証拠により是認できる。所論乙第四号証の一、二は隣接山林の売買価格に関し、しかも山林の様相、売買の理由等も明らかにされておらず、本件山林の価格認定の手がかりとなりうべきものとは認められず、原判決が特にこれを排斥する旨判示しなかつたからといつて所論の違法はない。所論はすべて原審の裁量に属する証拠の取捨、事実の認定を非難するに帰し、採るを得ない。
同第二について。
原判決は、所論狭義の譲渡担保成立の事実を認定した趣旨と解すべきであつて、右事実認定の下において原判決が弁済により右担保物件の所有権は当然被上告人に復帰すべきものと判断したのは正当である。されば、所論の違法は認められない。
同第三について。
所論(一)については、原判決理由中、所論引用の部分の「被告」とあるのは「原告」の誤記であることは明白であり、更正を許すものであるから、所論の違法は認められない。
所論(二)、(三)については、原判決認定の弁済提供および供託金額は、本件消費貸借成立が原判示のように昭和二八年九月下旬とすれば、原判示の元金一二〇、〇〇〇円とその利息金三三、一四〇円計一五三、一四〇円では不足であることは所論のとおりであるが、所論の提供、供託さるべき元利合計金一五四、五〇〇円に比し、不足額は僅かに千三百余円をいでないものであるから、この一事をもつて弁済提供および供託の効果を否定しえないものというべきである。
所論(四)については、期限は債務者の利益のためのものと推定され、期限の利益は抛棄できることを原則とするものであるところ(民法一三六条)、上告人は原審で、被上告人が期限の利益の抛棄を許されない旨の特段の事情を何ら主張立証していないのであるから、原判決が、この点につき判示をしていないからといつて、何ら違法はない。また仮に支払時期を遅れて利息の提供をしても、それは本旨に従つた履行の提供たるを失うものではないから、利息の支払時期について原判決が判示しなかつた点についても所論の違法は認められない。
所論(五)については、原審は所論甲第五号証の成立を認めるために採用した原審における被上告人本人尋問の結果(記録四三四丁参照)によると、これは被上告人の書いた案で、結局上告人はこれに判を押さなかつたというのであり、原審はかかる趣旨で同号証の成立を認めたに止まりその内容まで是認した趣旨ではない。それ故原審がこの点につき判示しなかつたからといつて所論の違法はない。
同第四について。
原判決は、本件山林につき上告人と被上告人との間に売買担保契約のなされたこと、被上告人は借金返済期限内である昭和三〇年九月二日上告人に対し弁済のため金員の現実の提供をしたけれども、上告人がその受領を拒んだので、即日右金員を弁済供託したこと、本件山林の所有権は約旨により被上告人に復帰したことを認定した上、被上告人の損害賠償の請求につき、上告人は昭和二九年一月ころ本件山林上の雑木を伐採したが、その伐採の権限について特段の主張、立証のない本件では、上告人はこれによつて被上告人に生じた損害を賠償すべき義務を負う旨を判示しているのである。すなわち原判決は、上告人の責に帰すべき履行不能による債務不履行を認めた趣旨と解するを相当とし、所論のように不法行為による損害賠償義務を認めたものでないと解すべきである。そして、右損害賠償額については、履行不能が確定的となつた場合には、それが履行期限前であつても、その時を基準として右損害賠償額を算定すべきものと解するを相当とするところ、原審は、本件損害賠償額の算定については、上告人が本件山林上の雑木を伐採し、右雑木引渡義務の履行不能が確定的となつた昭和二九年一月ころの価格により鑑定した第一審鑑定人白石光隆の鑑定によつているのであつて、原判決には所論の違法はない。
よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 入江俊郎 裁判官 斉藤悠輔 裁判官 下飯坂潤夫 裁判官 高木常七)